東京地方裁判所 昭和39年(合わ)420号 判決 1965年4月28日
被告人 谷内田秀夫
昭一二・八・一〇生 無職
高橋正佳
昭一〇・一・二〇生 会社員
主文
一、被告人両名を各懲役五年に処する。
二、未決勾留日数中各八〇日を右刑に算入する。
三、訴訟費用中、証人岸忠二郎、同杉本直伸に各支給した分は被告人両名の平等負担とし、国選弁護人藤井彦一郎に支給した分は被告人高橋正佳の負担とする。
理由
(事実)
(一)、被告人両名の経歴及び知合関係
被告人谷内田は、台湾で生まれ、幼くして両親を失い、祖母の手で育てられたが、終戦後の昭和二一年三月、伯父を頼つて新潟県柏崎市に引揚げ、同市の小学校卒業と同時に、台湾在住当時近所に住み親しくしていた谷内田大五郎、同キエの養子となり、秋田県男鹿市に移住したが、その後養父母の転居に伴い秋田市、宮城県宮城郡多賀城町等にそれぞれ移住し、昭和三一年三月塩釜市立塩釜高校を卒業後、翌昭和三二年四月東北学院大学文経学部経済学科に入学し、昭和三七年三月同大学を卒業して、東京都中央区日本橋茅場町一丁目二〇番地所在の東京昭和証券株式会社(以下昭和証券と略称する)に入社し、以来本件の発覚により昭和三九年一一月二五日退職処分を受けるまで本社営業部第一課に所属し、いわゆるセールスマンとして客の株式売買の仲介及びこれに伴う株券の預り手続等の業務に従事していたもの、被告人高橋は、日本石油株式会社に勤務していた父の転勤に伴い、各地の小、中学校、高校を転々とした後、仙台市立仙台高校を卒業し、昭和二八年四月東北学院大学文経学部経済学科に入学したが、昭和三一年三月同大学を中退し、爾来、会社事務員、作業員、トラツク運転助手、工員等をして働いた後、昭和三八年二月から同年一一月頃まで都内千代田区にある石油荷役株式会社に事務員として勤務し、その後、昭和三九年二月以降日新作業株式会社日石根岸作業所に事務員として勤めていたものである。
右のとおり、被告人両名は大学の先輩、後輩の関係にあるほか、昭和二九年頃から約三年間同じ宮城県宮城郡多賀城町に住んでいたことがあり、その当時はそれぞれ父親の勤め先が同じ日石塩釜油槽所であつたこと及び家が互いに隣同志であつたこと等から親しく交際し、被告人高橋の一家が昭和三四年頃東京に移住した後は一年交際は途絶えていたが、被告人谷内田が昭和証券に就職し、単身埼玉県与野市下落合六一六番地与野昭和寮に住むようになつた後の昭和三八年四月頃、同被告人が被告人高橋の家をたずねていつたことから再び交際が始められた。
(二) 犯行に至るまでの経緯
被告人谷内田は、昭和証券に勤めるようになつて間もなくの昭和三七年四月頃、偶々都内墨田区錦糸町所在料理店「釜芳」に外交に赴いたことが切掛けで、当時同店に調理士見習として住み込みで働いていた岸忠二郎(通称勝己、昭和一二年一一月五日生)と知合つた。岸は昭和三六年七月郷里の栃木県から上京して右「釜芳」で働いていたものであるが、以前から株の売買をしていた関係から被告人谷内田と知合つて後は同被告人の顧客となり、昭和三七年五月を初めとして爾来同被告人を通じ株の取引をするようになつたほか、同被告人との交際が続けられるうちに個人的にも親しくなり、岸がその後右「釜芳」をやめて上野駅前の「丸八食堂」次いで都内千代田区飯田橋所在の「なかや食堂」等にかわつた際にもその都度被告人谷内田に相談し、その世話で右各勤め先を捜して貰い、また同被告人の前記昭和寮にも屡々遊びに行き、時には泊つて来たりする程の間柄となつた。一方、被告人谷内田と岸との間の株の取引も続けられ、昭和三八年五月末現在において、被告人谷内田との取引を通じ岸が購入し昭和証券に預託した株のうち、八欧電気株式会社の株(以下八欧電気株と略称する)は二、二五〇株、新三菱重工株式会社の株(以下新重工株と略称する)は一、〇〇〇株に達していた。(八欧電気株はその後も取引があり、同年九月二〇日現在において昭和証券に預託された株数は合計三、二五〇株に達した。)
ところで、被告人両名は共に生来酒好きの上、再会後は主に被告人高橋が被告人谷内田の寮をたずねたり、或いは、喫茶店等で落合うなどして頻繁に会うようになり、会えば殆んど一緒に酒を飲み合つていたが、飲む機会が重なるにつれて給料も少なかつたため遊興費に窮するようになり、おのずから二人の間にもうけ話が話題に上り、そのうち、被告人谷内田の扱つている客の株を無断で売り払つても、あとその客を殺してしまえばわからないだろうというようなことが冗談半分に口に出るようになり、それが次第に二人の間で真剣に相談されるようになつた。
(三) 罪となるべき事実
昭和三八年六月初め頃、都内千代田区有楽町二丁目九番地所在喫茶店「ゆうらく」に被告人両名が落合い、話題が再びもうけ話に及んだ際、岸のことが種々話題に上るや、遂に被告人両名は岸を殺害してその株を売り払い金に換えようと計画し、更に同月中旬頃までの間に、被告人谷内田の寮或いは右「ゆうらく」等において、犯跡の残らないような殺害方法についても種々検討を加えた上、登山と称して岸を山に誘い出し、遭難を装つて同人を殺害し、死体は山に埋めてしまうこと、場所は東京に近い山がよいということから丹沢山が選ばれ、ここに被告人両名間において、岸殺害の共謀が成立した。
その後先づ換金を急ぐことに方針を変え、右方針に従つて、被告人谷内田において、同年同月二五日八欧電気株一、〇〇〇株を処分して、一二万六、四五六円を入手したほか、同年七月一七日新重工株一、〇〇〇株を処分して四万六、〇一八円、同年八月六日八欧電気株五〇〇株を処分して五万八一一円、同月一四日八欧電気株五〇〇株を処分して四万七、五二三円をそれぞれ入手し、得た金は殆んど被告人両名においてバー、キヤバレー等における遊興費に費消した。
この頃、岸は、既に「なかや食堂」をやめ、郷里で飲食店を開業すべく栃木県の実家に婦り、かたわら地元の自動車教習所に通つていたが、被告人等は、殺害の目的を遂げるため殊更手紙等で岸の上京を促せば後日証拠が残ることを虞れ、同人がみずから上京する機会を待つことにしていた。
ところで、同年九月一八日、岸は新重工株を指値九七円で処分すべく、その手続を被告人谷内田に依頼するため昭和寮を訪れ、同被告人に用件を伝えたが、被告人谷内田は、当時既に右新重工株は処分した後であつたため、現在新重工株は値下りして右指値以下になつているから今直ぐ処分することは見合わすようにすすめ、岸もこれを了承してその日は寮に泊つた。
翌一九日、被告人谷内田は岸を寮に残して出勤し、被告人高橋に岸が出て来た旨を伝えると共に、同人に夜寮に来るよう連絡した。そして退社後被告人谷内田は寮に帰り、岸に対し同人を山に誘い出す口実として、「今夜学生時代の友人で高橋という者が来るが、同人の叔父が上野の駅長を退職して一、〇〇〇万円の退職金が入つた。これを高橋に貸してくれることになつているが、自分は高橋からそのうち六六〇万円位無利息で借りられることになつている。もし借りられたら君と二人で一緒に商売をやろう。」ともちかけた。しかし、この話は被告人谷内田の作り話で被告人高橋にはまだ通じていなかつたため、「高橋が来てもこの話はまだしないでおいてくれ。」と口止めし、間もなく寮に来た被告人高橋を加え三人で酒を飲み合い、その日は三人共寮に泊つた。
翌二〇日、被告人両名は岸を寮に残してそれぞれ出勤したが、被告人谷内田は八欧電気株の残り株を全部処分する手続をした上(その代金一二万九、六四六円、)同日夜岸を呼出し、被告人高橋と共に三人で都内台東区上野町四丁目二番地の七号所在バー「モンテカルロ」に行き、ビールを飲んだが、途中一旦岸を残して被告人高橋と共に席を外し、附近の喫茶店「スーベニール」に入り、前日岸にした叔父が上野駅長を退職して一、〇〇〇万円の退職金云々の話の内容を被告人高橋に伝えて口裏を合わすことを打合わせた、ところで、被告人谷内田は被告人高橋と共に一旦は岸殺害の計画をたてたものの、これまでの岸との関係を考え、その間何度か計画を断念しようかと考えたこともあつたが、ことここに至りもはや引くに引かれぬ立場に立たされるに及んで、みづから手を下すことは避けたいとの気持から、実行方はすべて被告人高橋に一任しようと考え、同被告人に対し更に、「岸は山に行くことを実家に手紙で知らせるといつていた。もし知らせると自分は岸の実家の人にも知られているので、岸が山から帰らなかつたとき自分と岸との関係から疑われるようになる。自分が寮にいたことをはつきりさせておけば疑われないから、あんた一人で行つてきてくれ。」と頼み、被告人高橋も止むなくこれを了承した。再び「モンテカルロ」に戻つた被告人両名は岸に対し、「明日は土曜日だから丹沢へキヤンプしに行こう。金の話は山で三人で腹を割つて話し合おう。」、「山は何度も行つているが、とてもいい。」等と交々話しかけて登山をすすめ、岸も無利息で大金が借りられる話に魅かれて山に行くことを承諾した。
そこで三人は「モンテカルロ」を出て、仲御徒町の通称アメヤ横丁に行き、ツエルトザツク(昭和四〇年押第一八九号の三)及び円匙(同号の四)を買い求めた後、被告人高橋は翌日の待合わせの時間、場所等を打合わせて別れ、被告人谷内田と岸は昭和寮に帰り、明朝一〇時に東京駅八重洲口附近の喫茶店「上高地」で落合うことを打合わせた。
翌二一日、被告人谷内田は会社に出勤した後、「上高地」で岸に会い、「実は自分も一緒に行く予定だつたが、急に会社の用事ができたので二、三時間遅れて出発する。行く場所は前に何度も行つたことがあるのですぐわかるから、先に高橋と一緒に行つていてくれ。」と詐つて岸を納得させた。
こうして、被告人高橋と岸は同日午後零時三八分東京駅を出発したが、被告人高橋はかねての計画で犯行場所は丹沢山中でも殆んど登山客の入らない通称西モロクボ沢地内と決めていたため、御殿場線山北駅から中川温泉行のバスに乗換え、同温泉の少し手前で下車した後、徒歩で箒沢を経、白石沢に沿つて登り、西モロクボ沢出合の道標をみて西に進み、雑木林を越えて同日午後八時頃、道標より約二〇〇米入つた神奈川県足柄上郡山北町中川所在神奈川県有林第一一林斑通称西モロクボ沢地内の中洲に至り、同所で野営することとし、右中洲において飲食した後就寝した。
翌二二日午前五時頃、目を覚ました被告人高橋は、岸が熟睡しているのを認めるや同人を殺害すべく、附近にあつた大人の頭大の石を取り上げ、立つたまま頭の上から三回に亘つて岸の頭部に投げ下ろし、更に所携の日本手拭を同人の首に巻いて絞め上げたまま引きずつて、側を流れる沢(水深約二〇乃至三〇糎)の水の中に同人の顔を押さえ入れたところ、同人が抵抗し、沢の中を上流に向かつて逃げようとしたので、更に手拳で一回同人の顔面を殴打して水中に顛倒させたが、同人はなおも起き上り、巾約三・五米の流れを渡つて対岸の高さ約二米の崖を丸木橋の支柱を伝つてよじ登り、旧山道に入つて上方に向つて逃げ出した。被告人高橋は、岸が傷を負つている様子からみて遠くへは行くまいと考え、しばらくこれを見送つていたが、岸の姿が見えなくなつたとき、前夜道標附近でみた人夫小屋に人のいそうな気配があつたことを思い出し、もし岸が右人夫小屋の方に行つたとすれば救いを求められ、ことが発覚すると考え、直ちに下流方向を捜したが見当らなかつたので、更に戻つて右旧山道に入り、道をたどつて捜したところ、中洲より約一四〇米奥にある涸沢を約三五米登つた地点に岸がうずくまつているのを認め、殺害の目的を遂げるべく庖丁(前同号の六)を携えて近寄つたところ、岸は水に濡れたまま頭から血を流し、茫然とした状態で、被告人高橋に対し、「どなたさんですか。」と尋ねた。この様子を見て可哀想に思うと同時に岸に対し済まないことをしたと思つた被告人高橋は、岸に対する殺害行為を思い止まり、直ちに岸を背負つて中洲に戻り約一時間に亘つて、焚火で岸の体を暖ため、傷口を縛るためのタオルを与え、濡れた衣服を自己の予備の衣類に着換えさせる等の措置を行なつた上、下山の途につき、途中バスの中で落合部落に医者がいることを聞き、直ちに同所で下車して、同日午前九時過ぎ頃、同郡同町世附五番地所在の沖医院に岸を同行し、縫合等の医療措置を受けさせた後、更に十分な手当を受けさせるため、外科の専門医である叔父高橋正文の経営する横浜市港北区日吉本町所在の日吉中央診療所(現在日吉中央病院と改称)に直行し、同医師の診断を受けさせた結果、頭蓋内出血の疑いが認められたため、同医師の計らいで更に岸を東邦大学医学部付属病院に入院させ、医師杉本直伸を主治医として治療が加えられた結果、岸に対しては入院加療二三日間を要する頭蓋内出血を伴う前額部及び後頭部挫創の傷害を負わせたにとどまり、同人を殺害するに至らなかつたものである。
(証拠)
(一)、証拠の標目(略)
(二)、中止未遂の認定について
(1) 検察官は、「涸沢から中洲に戻つてからの被告人高橋の行動は岸に対し十分な介抱を尽くしているものとはいえず、下山に際しても岸に対し肩を貸すとか手を貸す等の行為もなく、岸の診断治療に当つた医師に対しても負傷の原因について事実をかくし、更に捜査官に対しても長期に亘つて否認していたこと等を併せ考えると、本件殺害行為の中断は、被告人高橋において必ずしも悔悟の情に出たものではなく、むしろ岸の余りの生命力の強さに驚いて殺害行為を継続しなかつたに過ぎないと考えるべきであり、その後においても岸に対する手当等に真摯な努力をしたものとは認められないから、本件は殺人の障碍未遂である」旨主張する。
これに対し、被告人高橋は、涸沢における判示の如き岸の姿を見て何故爾後の実行々為を思いとどまつたかについて、捜査以来終始「岸の右のような姿を見て可哀想になり、自分がとても残酷なことをしていると思い、岸に済まないという気持になつてその時殺すのを止めた。」旨供述し、弁護人は被告人高橋の本件犯行は殺人の中止未遂である旨主張する。
(2) ところで、本件犯行が行われた場所並びに時期をみるに、その現場は登山客も殆んど入らない人里離れた山中であり、またその時期は早朝の午前五時頃のことであつて、その近隣には被告人の犯行を知りうる者は皆無といつてもよい状況であり、その上当時現場、殊に涸沢においては岸が抵抗する気力も体力も失なつていたことは、さきに認定したとおりである。従つて、如何に岸の生命力が強いといつても被告人高橋としてなお犯行を継続し、岸を殺害しようと思えば十分これをなし得る余裕があり、且つ、容易に殺害の目的を遂げえたであろうことは推察するに難くないところである。そして一件証拠を精査しても、被告人高橋の犯罪遂行に障碍となるべき事情は他になんらこれを認めることができないこと等(本件現場、殊に涸沢と前記人夫小屋とは相当離れており、犯行が同所にいる人夫等に覚知される可能性は殆どないといつても過言ではあるまい)を併せ考えると、被告人高橋が殺害行為を継続しなかつたのは、同被告人の供述するとおり、水に濡れ頭から血を流してうずくまつている岸の姿を見て憐憫を覚えて飜意し、自己の行為を反省悔悟したことに因るものと認めるのが相当である。しかしながら、一件証拠によると、被告人高橋は右の如くその犯行の遂行を思い止まる前に既に岸に暴行を加え、これにより岸の頭部に傷害を与えており、その傷は前額部及び後頭部にそれぞれ長さ約四糎の亀裂を生じ、縫合手術を要した上、軽度ではあるが頭蓋内出血を来たし、犯行後約一三時間余を経過して東邦大学医学部付属病院に収容された当時においては、その症状は重症で絶対安静を必要とする状態であつたことが明らかであり、また、同病院において診断治療に当つた医師杉本直伸の当公判廷における供述によれば、「頭蓋内出血が軽度にとどまり、それ以上増大しなかつたのは治療が適切であつたためとも考えられ」たことも認められる。これ等の事実に徴すると、岸が被告人高橋のため頭部に受けた前記傷並びにこれに伴う身体障害は相当重症であるから、これを放置して医療措置を講じなかつたとしても死の結果を来たす可能性が全くなかつたとは決して断じ難く、被告人高橋が石を以て岸の頭部に加えた暴行は岸を死に致す可能性ある危険な行為であつたといわなければならない。そうだとすると、被告人高橋において、さきに認定したとおりの経緯で犯行を思い止まつたとしても、同被告人について中止未遂の成立が認められるためには、更に既に加えた前記暴行に基く死の結果の発生を積極的に防止する行為に出で、現実に結果の発生を防止し得たことが必要であると考える。そして、右結果発生の防止は、必ずしも犯人が単独でこれに当る必要はなく、他人の助力を受けても犯人自身が防止に当つたと同視するに足る程度の真摯な努力が払われたと認められる場合には、やはり中止未遂の成立を認めうることは、大審院以来の確立した判例である(大判昭和一二年六月二五日刑集一六巻九九八頁。)
ところで、本件においてこれをみるに、前掲証拠によれば、被告人高橋が涸沢における岸の姿を見て爾後の実行々為を中止してから後、同人に対して被告人高橋の採つた措置は判示のとおりである。もとより、本件のように医療設備の勿論あり得る筈のない山中において、しかも医療智識のない被告人高橋に医学的に完全な応急の医療乃至は救護の処置を期待し得べくもないことは当然であり、本件の如き環境、傷の状況等においては、何よりも先づ早急に医師の診断治療を受けさせること並びにそれまでの間に対処する素人なりの応急措置を採ること等が最善の措置といつてよいであろう。そうだとすると、被告人高橋が判示の場合に判示のような措置を採つたのは、被告人なりに出来るだけの努力を尽くしたというべきであり、またその措置は、結果発生防止のため被告人としてなし得る最も適切な措置であつたといつて差支えないと考える。
なるほど、被告人高橋が、検察官主張のように、下山に際して岸に肩を貸すとか手を貸す等の行為に出た事実は認められないけれども、一件証拠によれば、当時岸は歩行も出来ない程の瀕死の重傷ではなく、他人の手を借りないでも十分に歩けたのである。このような場合においても、被告人高橋としては、その行なつた行為を顧みるとき、岸に手を貸してやる程の細心の配慮が望ましいことであり、被告人が若しこの所為に出ていればその中止の努力には更に相当高度の評価を与えうるといいうるであろう。しかし、この場合この所為に出なかつたとしてもそれのみを以て中止行為の真摯性が直ちに失なわれるものとするのは相当ではない。その真摯性は被告人の行為を全般的に観察してこれを評価すべきものと考える。ところで、前記杉本直伸の検察官に対する供述調書及び同人の当公判廷における供述、高橋正文の司法警察員に対する供述調書、被告人高橋の当公判廷における供述によれば、被告人高橋は、日吉中央診療所に行つた際偶々右高橋正文が不在であつたため、直ちにその出先に電話して至急戻つて診療して貰いたい旨連絡したり、東邦大学医学部付属病院に岸を収容した際は患者を看護婦と一緒になつて運んだり、その他岸の家族代りになつて一生懸命患者の世話をしていた事実も認められる。もつとも、被告人高橋が医師や捜査官の取調に対し検察官が主張するように当初岸の負傷は山で遭難した結果であると詐つていたことは証拠上認められるが、このことは結果の発生防止という点からみれば異質のことであつて、その真摯性を否定するものではないと考える。
以上の諸事実のほか本件に顕われた諸般の情況を総合考察すれば、本件において、被害者岸が死の結果を免れ得たのは、(イ)被告人高橋において涸沢における岸の判示の如き姿を見て憐憫を覚えて飜意し、反省悔悟して爾後の実行々為を任意に中止したこと及び(ロ)岸の頭部の傷については医師等の協力を得たことによるのではあるが、被告人としては岸の死の結果発生の危険を防止するため、素人なりの応急手当を行い、そして、医師の治療をうけるため努力し、医師の適切な措置が行なわれたことによるものと認めるのが相当であり、被告人高橋の右(ロ)の行為は畢竟被告人自身その防止に当つたと同視するに足るべき程度の真摯な努力を払つたものであつて、最少限度はその要件を充足しているというべきであり、被告人高橋の判示所為は殺人の中止未遂と認めるのが相当である。
(3) なお、中止犯の効果は中止者個人に専属し、他に効果を及ぼさないものである。そして、本件においては、被告人谷内田は被告人高橋と岸を殺害すべく共謀したものであるところ、共犯者たる被告人高橋において一旦実行々為に出たにも拘らず、その中途で実行を中止し、結果の発生を防止したことについて被告人谷内田が干与した事実は一件証拠上認め難いところであるから、被告人谷内田については中止未遂の成立を認めることはできない。
(法令の適用)
被告人等の判示所為はいずれも刑法第二〇三条、第一九九条、第六〇条に該当するのであるが、所定刑中有期懲役刑を選択し、被告人谷内田についてはその所定刑期範囲内で、被告人高橋については、その判示所為は中止未遂であるから、同法第四三条但書、第六八条第三号により法律上の減軽をした刑期範囲内で、それぞれ処断することとなる。
ところで、本件犯行は遊興費に充てるため被告人谷内田において被害者岸より業務上預つていた株を擅に処分した上、その犯跡を隠蔽するため貴重な人命をも絶たんとしたものであつて、その犯情は見方によつては強盗殺人未遂の罪にも匹敵する極めて悪質なものである。そして、本件は、その目的達成のため、長期に亘る綿密な計画のもとにいわゆる完全犯罪を意図した巧妙で且つ極めて知能的な犯行であつて、もし被告人等の意図したとおり事態が進行した場合を想起するとき、まさに慄然たるものを禁じ得ない。そして、被告人等は共に最高学府に学んだ者であるにも拘らず、その行為は被害者の友情と信頼を裏切る最たるものであつて、そこには人間としての誠実さはその断片すら発見することができない。これ等の観点から被告人等の本件所為を評価すれば、その所為は反社会性の最も大なるものとして強く非難されるべきであり、その責任は極めて重大である。しかしながら、他方、被害者岸が生命をとりとめたことはまさに不幸中の幸いというべきであり、また、証人杉本直伸の当公判廷における供述によれば、岸には後遺症の徴候はなく、健康状態も旧に復したことが認められる。そしてこの最悪の事態が防止された原因として看過できないものは、被告人高橋の良心が最後の瞬間において蘇えりその犯行が中止されたことである。このことが本件で最悪の事態の発生防止の有力な原因であることはさきに認定したとおりである。犯人がひとたび誤つて犯行に着手してもその完成前にその意思により踏み止まり最悪の事態を避けえた場合には、その刑事責任を評定する際高くこれを評価すべきものであることは多言を要しまい。ところで、本件においては、もし被告人高橋の良心にして判示の如く蘇生せず且つこれによる犯行の中止がなかつたとすれば、その責任は強盗殺人未遂の罪の刑に準じて重く評定されるべきものであろう。しかし、被告人高橋は前記認定のとおり犯行の中止により最悪の事態を防止しているので、この点は被告人のため極めて有利な情状として量刑上考慮すべきものであると考える。そして、被告人谷内田は、本件において、岸を山に誘い出すべく種々工作しているが、反面一件証拠によつて認められる本件犯行に至るまでの経緯及び被告人両名の年令、性格、平素の交際状況等に鑑みると、本件計画の遂行に当つては気後れを来たし、むしろ消極的であつて、被告人高橋の積極的な態度に追随せざるを得なかつた事情が窺われないではない。そして、被告人等によつて処分された株は、昭和証券の協力によるものではあるが、岸の手に戻つてこの面の実害はなく、また被告人等から岸に対し未だ慰籍の途が講ぜられていないけれども、このことは現在岸から被告人両名に対し損害賠償の民事訴訟が提起されているため、その進行に待たざるを得ない状況にある。そして、被告人谷内田にはこれまで前科、前歴はなく、また被告人高橋には過去業務上過失傷害等で罰金刑に処せられたほかは他に前科、前歴がなく、その上、被告人両名が現在においてはみずからの行為を反省悔悟していること等は一件証拠上明らかである。そして、本件に顕われたすべての情状を考慮しても、被告人両名の間に特に差等を設けるほどの情状は認められない。
以上の諸事情を考慮し、前記各刑期範囲内で被告人両名を各懲役五年に処し、刑法第二一条を適用して被告人両名に対し未決勾留日数中八〇日を右各刑に算入する。訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文により主文第三項記載のとおり被告人等にそれぞれ負担させる。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 八島三郎 新谷一信 山本博文)